あらゆるものが複製技術で構成されている。この技術のおかげで、選択肢もずいぶん増えた便利な現代だ。だが、つかの間でも立ち止まり、考えてみて欲しい。人はこの複製技術時代に、たった一度きりの衝撃や壮大な幻想をいかにして抱くことができるのだろうか、と。ドイツの批評家・ベンヤミンは芸術作品から生じる一回性や幻想を″アウラ″と呼んだ。アウラが失われたこの複製技術時代の芸術作品には、いかなる可能性が潜んでいるのだろうか。今回は「アウラの喪失」をテーマに掲げ、川元清史のまなざしをたどろう。
■今回は「アウラの喪失」がテーマの中心となっています。川元さんはなぜこのテーマを選んだのでしょうか。
それは僕が配信という技術について考えてみたことから始まります。世界配信したことで、僕の曲は今までよりも知られるようになりました。でも、曲をインターネットのマーケットに配信するということ、それはアクチュアルなライブのように「いま、ここに在る」という一回性のない、複製の状態です。配信は複製そのものなのだけれども、いかに「いま、ここ」を感じられる作品を創り出せるのだろう。そして、今後も世界配信することでそこにアウラを見出し得るのだろうか。僕はこんな疑問を持って「アウラの喪失」というテーマに行き着いたんです。
■「アウラ」、これは一体どのようなものなのでしょう。
僕は「アウラ」というものを「そこに何か宿っているという感覚」、「ある種のカリスマ性を秘めた神聖なもの」として捉えています。そして、それは「芸術文化にたいして抱く一種の共同幻想【i】」であるとも言われています。さらに、「いま、ここに在る」という一回性もアウラの要素です。
複製技術の時代に入るとアウラは失われ、人々は芸術にたいして一回性というものや幻想というものを感じなくなりました。でも、ベンヤミンは「アウラの喪失」における芸術作品の崩壊を否定的に捉えるのではなく、最大限積極的に捉えようとした。そして僕も複製技術の躍進を積極的に捉える立場に立っています。
その上で、今回は音楽を中心としたエンターテイメントにおいて、どのようにアウラが失われていったのかについて、その経緯をたどり、これから音楽や芸術に何が必要なのか考察したいと考えています。
■実際に、アウラはどのような経緯で喪失されていったのでしょうか。
そうですね、僕は1990年代に音楽から大きな影響を受けたのですが、当時は共感性というものが存在していたな、と振り返ります。その一方で、今は当時のような壮大な共感性はもはや存在していない。今顧みれば、90年代当時の共感性が実はアウラだったのではないか、僕はそう捉えています。
ここで言う共感性というのは「みんなが知っている社交ツール」のこと、つまりアダムスミスの言うような「他人が感じていることを自分も感じる能力」のことです。
僕たちは90年代、この共感性によってアウラという現象を自ずと感じることができたんです。たとえば当時はヒット曲を覚えて、それをみんなで歌う″カラオケブーム″があった。カラオケの場においてヒット曲をみんなで歌うこと、それが集団の中の社交ツールとして働いていたんです。つまり、そこに共感性が生まれていたということです。
そして、80年代後半から90年代前半にはCDが出現し、FMが誕生して、アメリカからの音楽が大量に流入してきた。この時代は戦後最大のアメリカ輸入文化が到来した時代であり、数多の洋楽が日本になだれ込んできたんです。僕たちはアメリカの音楽を介して、自分の足でその土を踏んだこともない、自分の目でその景色を見たこともない、遥か彼方に浮かぶアメリカ大陸に、大きな幻想を抱いていた。そして英語で書かれた歌詞の意味も分からないまま、「そこに何かが宿っているような感覚」を覚えました。
今振り返ると、95年頃まではこのような共同幻想がエンターテイメント内で起こっていたのではないかなと思います。当時は共感性を生む文化が溢れ出るかのごとく生み出されていた。つまり90年代前半、僕たちは複製技術を通じてアウラを感じていたんです。
■90年代後半からは、どのように変化したのでしょう。
90年代後半から2000年代に入ると共感性は生み出されなくなりました。集団が持つ巨大な幻想がなくなる代わりに、個人の主観が台頭したんです。つまり、2000年代に入るとiPodをはじめとして″ポータブル化″が進んだために、一人で芸術鑑賞できるようになった。そして、2010年代以降は個人でも曲を探せるように、複製技術によってデータ化されたファイルが用意され、音楽がきれいにカテゴリー分けされるようになりました。こんな状態だから、もはや共感性という名のアウラはそこから消え失せてしまったんです。
つまり、1990年代は複製技術から音楽を受容することで、僕たちには自ずとアウラが降りかかっていたのだけれども、2000年代以降は個人が複製技術から作品を探し出すことで、自分でアウラをつかみとる時代へと転じたのです。
■でも、複製技術時代に突入してアウラは既に失われてしまったはずです。なぜ90年代当時は複製からも、共同幻想や「いま、ここ」といったアウラを感じられたのでしょうか。
それは、当時の日本人があまり英語に慣れ親しんでいなかったことにあるのではないでしょうか。洋楽を聴く日本人は歌詞の意味も分からないまま、なんとなく聴いていたと思う。
90年代当時のCDは曲名がすべて日本語に訳されていて、このバブル時代においては洋楽をお洒落なものとして受け入れるのがトレンドでした。曲を楽しめるように、CDの歌詞カードの中にはおせっかいにもエッセイが添えられていたり、1曲ごとに歌詞の対訳が載っていたり、とても丁寧なんです。つまり、日本国内で勝手に編集されたものが多かったんですね。
当時は英語の意味が分からなくても、対訳を見ることで人は幻想の世界に入っていった。今思うとそれはアウラだったのではないでしょうか。当時の若者はこういうものを見ながらロマンスを感じていたんです。
ジャケットのイラストやちょっとしたエッセイ、そして歌詞の対訳を見ても分かるように、その1つの曲は壮大なストーリーを纏っていたんです。この1曲にどのようなストーリーが備わっているのか、丁寧に描かれている。こんな風にしてストーリーが示されることで、多くの人が同じような感覚に陥ると思うんです。そして「あの曲はこんなことを言っている」と自分の中で解釈して、人々は1つの作品から自由に世界を紡ぎ出すことができた。
■それはつまり、ストーリーを通してロマンスを感じ取ることで、共感やたった1度の感動といったアウラを体験できたということでしょうか。
そうですね。僕はロマンスそのものが幻想であると思っているんです。社会的な背景を見ると、アウラはもはや存在しないんですけれども、現代においてアウラに取って代われるものはロマンスだと考えています。もちろん、他の方法でもアウラを取り戻すことはできるでしょう。でも、僕ができることはロマンスを創り出すことです。
ラブソングを歌い表現することで、ロマンス空間が出現し、その曲を聴く人は1つのストーリーを体験する。そして、このロマンスというくつろぎの空間を創り出すことで、共感性も生まれるのではないかと考えています。
ただ、僕は共感性というものは、必ずしも存在しなくてもいいと思っています。そもそも90年代に存在した共感は、すぐに終わってしまうブームに過ぎなかった。
それに、ある意味で共感というのは依存なんです。なぜなら、その人の音楽しか聴かないということを意味しているからです。実際、当時はトップチャートでも上位10位までの曲しか聴かれなかった。今考えれば、排他的だったとも言えるでしょうね。だから、今は一回性に出会うことの方が大事だと僕は思います。
■一回性の体験で以ってアウラを感じることが優先されるのですね。
そう、その一回性でいかにアウラを伝えられるかということが、今後大事なのではないかと思います。簡単な答えを出してみれば、一回性はライブで実現することができると言えます。でも、ライブで満足してしまうのではなくて、複製技術を駆使し、一回性をどのように作り出してゆくのか。つまり、複製技術の時代において、一回性に巡り合う機会をいかに作り出してゆくことができるのか。これが芸術の抱える最大の課題です。
ただそこには問題があって、ひたすら複製技術を駆使すれば一回性を感じられるようになるだろう、そう過信する傾向が僕たちには見受けられる。しかし、そこに安住するのではなくて「すごく儚くて、かけがえのない一回性」、ここに向かわなくてはならないのではないかと思うんです。
■それを実現するには、どんな手段を取ることができるのでしょうか。
このような一回性を作り出すためには、作品にストーリーを添えることが大切なのではないかと僕は考えています。そしてそのストーリーというものは、ベンヤミンのいう「遊戯空間」の中に見出すことができる。僕の場合に当てはめてみると、「ロマンスで以って創るくつろぎの空間」だということです。
現代においては曲を配信する時、ストーリーというものがそこに添えられていません。対訳もなければ、解説書もない。単純に複製の作品だけがそこに置かれている状況です。そこにひとつのストーリーを添えて行くことで、作品に一回性を見出すことができるのではないか。そう考えています。
■ストーリーを添えるという方法以外にも、アウラを取り戻すことはできるのでしょうか。
そうですね、他にどのような方法で取り戻して行くか。それは、ベンヤミンが言うように「装置を最大限に活かして遊技空間を作る」ことを通して実現できるでしょう。
今の時代であれば、複製を通してそれを実現したとしても構わない。複製技術の時代になって登場した装置、つまり色んなものを作れる技術を最大限使いこなして、いつかその人にとって「あれはアウラだった」と思ってもらえるような「くつろぎのロマンス空間」を創りたい。
これは、ベンヤミンの言うミメーシス(模倣)するということにも繋がります。僕たちは90年代に共感を体験していた。そしてこの共同幻想が、アウラだったのではないかと僕は思う。そういう、昔見たもの・感じたものをもう一度再現して、似たような経験を創り出してゆく。たとえば、ブラックコンテンポラリーという言葉を使って今創作されている曲自体、ミメーシスを通して生み出された時代の複製です。
こんな風にして、かつて人々がアウラだと感じていたものを再び表現することで、″懐かしさ″が帰ってくる。そして、10年20年経っても覚えている、この″懐かしさ″というのも一種のアウラだと思う。
このようにミメーシスを行なった上で、ライブや作品にまつわるストーリーを添え、遊戯空間をどれほど創り出し、外に向けて発信してゆけるか。これがアウラを取り戻すために大事なことだ。僕はそう考えています。
ただ、一回性に加えて共感性を生み出すことも大事です。ベンヤミンが言うように人々は芸術作品にくつろぎを求めている。そして、ロマンスを通して「くつろぎの空間」を創造することで、共感性も生まれるのではないかと僕は考えています。したがって、いかにしていわゆる「くつろぎの空間」、「遊戯空間」を外に発信して行くかが大切だと思うのです。
■くつろぎの中で人はアウラに出会うのですね。
そうでしょうね。いつの時代も人は「たったひとつのアウラ」を求めて生きているのではないでしょうか。たったひとつに出会うために複製技術の芸術作品の中から探しているのかも知れません。僕にはロマンがあり、ラブストーリーを歌にして届けたいという願望がある。だから「アウラの喪失だ」と嘆くばかりではないんです。なぜなら、複製技術がなければ世界配信もできなかったのだから。
たとえ、複製技術の世界に「いま」「ここ」がなくても、人が抱く感情が芸術作品に乗り移ったとき、その作品は初めてその人のアウラとなるのではないでしょうか。僕はその人のためにロマンスを歌い届けたい。
【1】多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波現代文庫、2000年、47頁
インタビュー・テクスト 瀬尾 愛里紗 撮影:中村 真奈
川元清史(かわもと きよし)
1981年兵庫県生まれ。歌手。Office Kiyoshi Kawamoto代表。1998年、YAMAHA Teen’s Karaoke Audition神戸地区グランプリ受賞。最新作は“Love of My Life” 東京港区を中心に自身のショウを定期的に展開中。