艶のある声と、ロマンティックなステージで魅了するシンガー・川元清史。今まで素顔をあまり語ってこなかった彼の軌跡をお届けいたします。

シンガーとしての川元清史が誕生するまでの経緯を教えてください。

もともと歌手になることを目指したり意識していたわけじゃありませんでした。でも高校生の時、ヤマハのティーンズミュージックフェスティバルというオーディションがあって、友人の勧めでその一環のカラオケオーディションに出場したんです。僕は神戸地区で受けたんですけど、なんとグランプリを取ってしまって。次のステージは大阪で開催された関西ファイナルでした。これは神戸だけでなく兵庫、京都、奈良、三重……いわゆる近畿エリア全部が対象で。決勝戦で惜しくも僕は敗れたんですけど、歌い終わった時にお客さんがくれた拍手喝采が忘れられなくて。すごく気持ちいいなと思ったんです。僕、普段は学校で盛り上げキャラだったので、人から喝采を浴びることなんて今までなかったんですよ。でも初めてそれを経験して、自分は歌いたいんじゃないかって自覚したんです。そんなモヤっとしたものは抱えつつも、そのまま普通に大学に進学しました。4年になってみんなスーツを着て就職活動を始めるんですけど、自分にはどうしてもそれがしっくりこなくて。音楽への気持ちがくすぶってたんですよね。それから、音楽の専門学校に行き始めました。

■そこでボーカル科に所属して、いわゆるプロを目指したんですか?

そうです。でも僕、ちょっと古いんですよね。カラオケオーディションの時もみんなが宇多田ヒカルさんとか歌っている中で、中西保志さんの“最後の雨”を選びましたし。アーティストというよりは、歌手になりたかったんだと思う。

■これまでリリースされてきた楽曲を聴いても、その趣向が色濃く表れている気がします。

僕がソロ活動をしている時から追求している音楽って、ブラック・コンテンポラリー、いわゆるアダルト・コンテンポラリーと呼ばれているジャンルなんです。でもそれはここ数年でようやく固まってきたスタイルですね。20代の頃はあらゆるジャンルに手を出していましたよ。Jポップから演歌、ロックにも走りましたし。今振り返ってみると、色々手探りだったんでしょうね。それで30代に入ってから、やっと自分の音楽というものを確立でき始めているのかなという感覚です。

■どうやってここに行き着いたんですか?

実は僕が学生の時に影響を受けたものなんです。都会的な大人のバラードに憧れがあったんでしょうね。音楽の影響を一番受けたのは1995年から2001年くらいのことだったと思うんですけど、その時からどこかでこれをやりたいという気持ちがあったのかもしれない。今やり始めていて、それがやっと分かった気がします。だから今はできなかったことに挑戦している時期だし、できて消化したこともあるし。

■原点回帰ですね。 

そうですね。20代後半から音楽とは何かっていう問いをずっとしてたんですよ。その時期は頑張れば歌手になれるって漠然と思っていたくらいで。そこに意味するものは何なんだろうってふと思った時に、「音楽を通じてこれを伝えたい」というのが僕にはあまりなかったような気がします。単純に有名になりたいとか、モテたいとか、ミュージシャンにありがちな不純な動機かもしれない……人より有名な冠が欲しいだけなのかもしれないって思ったんです。でもやっぱりあの時の拍手が忘れられなかったり、ライブのお客さんの顔が忘れられなかったり。お客さんの気持ちは自分なりにすごく考えていたんですよね。当時、僕はお客さん側にいたわけで。「これをやりたい」というきっかけをもらっていた側にいた。今度は僕がそのきっかけを提供していかなければいけないなと思ったんです。

■その術としてアダルト・コンテンポラリーがあった。

はい。アダルト・コンテンポラリーにはバラード、つまりロマンスを歌っている曲がすごく多いんです。アダコンの定番として、都会の夜景をバックにお酒を飲みながら大人のロマンスを楽しむというものがあると思うんですけど、それって日常ではあまり手に入らないじゃないですか。僕は学生時代そういうものに憧れていたし、幻想を抱いていたんだと思う。夢を見させられたっていうんですかね。だから今度は僕がそういったものを届けたいなって思ったんです。自分の音楽でね。それがようやく30代に入ってからですね。

■ここに来るまでに相当の年月がかかりましたね。

そうなんです。若かったというのもあるし、自分の考えが持てていなかったのもあるかもしれない。今思うと実存的ではなかったと。

■やっぱり20代の頃と比べて歌う内容も変わってきましたか?

変わってきましたね。どう変わったかと言われると難しいところなんですけど、音楽的にはずっと変革をしてきていて。楽曲だけじゃなく歌詞もライブも、世界観ももちろんそうです。常に変化している途中ですね。

■今回の“Love of My Life”もその変化の中にあるというわけですね。

はい。まず今回は初めての配信という形をとっていますし、英歌詞というのも一つのポイントですね。アダルト・コンテンポラリーという時点で、これは日本にはない、海外の影響下にあるものだと思うんですよ。なのでこのジャンルを追求していくと、おのずと海外――特にアメリカとの関わりが必要不可欠になってくる。そこで今回は作詞家をアメリカ在住の方に依頼していますし、向こうのサウンドに限りなく寄せたいと思って作りました。

■向こう、つまり世界を視野に音楽を制作していきたいと思われているんですね。

英語の歌となるとそうなりますね。でも僕、川元清史はここ東京でやっているわけで。この点に関しては自分の中で線引きが必要だと思っています。英語の歌に関しては世界重視というか、アメリカ目線なところで作りました。しかし重要なのは今回の作品“Love of My Life”は4ビートのメロディーに英歌詞をつけて16ビートのアレンジでやってるんです。要は日本のメロディーに対して洋楽のアレンジを施したのと同じようなものなんですね。これを聴いた時、海外の人はどう思うんだろうっていうのはありますね。日本人の好きな洋楽というものを表現してみた、ある意味僕にとっての挑戦です。和洋の文化が融合した現代音楽は近代的なものとして存在するけど、アダルト・コンテンポラリーにはその世界がまだない。僕がそういう世界を作りたいというのもひとつですね。

■常に変化の途中で、挑戦の最中にあると。今後目指していきたいところは?

今って音楽に限らずとも、長く愛されるものって少なくなってきているような気がするんです。僕の若い頃、楽しみってすぐ手にできるものじゃなかったんですよ。音楽で言えば、土日にならないとCDを買いにいけなかったし、テストに合格しないとライブにも行けなかった。そんな先延ばしの楽しみのためにいつも何かを頑張っていたんですよ。今はインターネットさえあればすぐに好きな音楽をダウンロードして聴けるし、寂しければいつでも誰かと繋がれる。要は我慢する必要がないんですよね。手当たり次第に手に入るから、簡単に手放すこともできる。だから僕は長く愛されるものを作っていきたいんです。今回の“Love of My Life”も、今聴くと古いスタイルとか思う人もいるとは思うんですけど、10年後、20年後に勝負できるもの、聴いても色褪せないものだと信じています。そういう音楽を今後も追求していきたい。これだけはやり遂げて人生終えたいなとは思っていますね。

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■ある意味、シンガーとしての川元さんの使命ですね。リスナーの方たちにも一言お願いします。

僕はどこかに所属しているわけではないので、基本的には全部一人でやっています。その中で、応援してくださるリスナーの方の満足を第一に考えてやっているつもりです。要はみなさんが僕を作っているのだと思っています。これからも僕の残していきたい歌、描きたい世界、そういったものをできる限りみなさんのもとに届けていくつもりなので、僕についてきてくれたら嬉しいです。2017年は、コンサートはもちろん、“Love of My Life”に続く英語の新曲だけでなく日本語だけの新曲もリリースしたいと思っています。僕自身常に問いを持ち続け、ファンやリスナーさんに活動の中で問いかけながら音楽活動を楽しんでいきたいと思っています。

インタビュー・テキスト 矢作綾加  撮影:中村真奈

川元清史(かわもと きよし)
1981年兵庫県生まれ。歌手。Office Kiyoshi Kawamoto代表。1998年、YAMAHA Teen’s Karaoke Audition神戸地区グランプリ受賞。最新作は“Love of My Life” 東京港区を中心に自身のショウを定期的に展開中。

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