Love of My Life世界配信から4カ月、川元清史は何を問い、歩んでいるのか。自身の中に秘めていた思索の足跡をお届けいたします。
■昨年11月にLove of My Lifeを初めて世界発信されてから4カ月。川元さんが得たものとは何でしょう。
Love of My Lifeを配信して凄く面白かったのは、僕という人間を知らない海外のリスナーが作品を聴いてくれたことです。僕自身については何の予備知識もないまま、まずは作品だけを見て何かを感じてもらえたんですね。一言で言うと、歌い手である僕は″後付け″になったんです。僕は今回、作品を中心に見られるということを実現したかった。だから世界配信でそれを叶えられたことは、僕にとって本当に驚くべきことだったんです。そこでは、歌い手である僕が、「リスナーは作品だけで何かを感じてゆくことができるのだ」と自覚せずにはいられませんでした。世界配信して海外のリスナーから反応が返ってくる。それを当たり前のことだと思うのではなくて、凄いことだと気付くことができた。それが、今回僕が得た一番大きな糧です。この経験は、僕がこれから体現して行こうとしているロラン・バルトの「作者の死」につながってゆくと思うんです。
■ロラン・バルトの「作者の死」という言葉が出てきましたが、それはどんなもので、なぜ川元さんは「作者の死」にたどり着いたのでしょう。
それは僕の中に生まれたある一つの疑問が原点にあると言えるでしょう。
最近はSNSの発達のおかげで、音楽が「売るもの」から「無料で公開するもの」に変わったはずなのに、未だに深く語られないのはなぜだろう。僕はこの疑問から出発して「作者の死」にたどり着きました。バルトの「作者の死」は文学に関するものですけれど、僕は音楽にも当てはまると思っています。音楽を無料で公開することに似ているなあ、と思うんです。バルトは文芸作品を商品として読者に買わせるのではなく、無料にして、作者よりもその作品自体を巡って読者が自由に語れる空間を創ろうと唱えた。そして彼の言ったことは実際に実現し、文学だけでなく、音楽も無料で公開される時代が来ました。それなのに、実際のところ音楽は人々に語られてはいないし、そこから広がる音楽の革命みたいなものも起こっていないんです。
■それはなぜでしょうか。
それは、SNSが発達したことで、アーティストが作品を発表する前に自分の思いをさらけ出すようになったからだと思います。こうなると、リスナー側も、別にアーティストの作品を買わなくてもいいじゃないか、ということになる。Twitterを追えばアーティストがどんな人間なのか大体分かるから。本来なら、リスナーとアーティストの間に、作品が語られることによって成長してゆく関係が作られるはずだと僕は思っているんです。でも、SNSが出てきてからはアーティストとリスナーが作品を介さずに、密接につながる空間ができた。
昔はまず作品を聴いて、その次にアーティストについて考えたけれども、今はアーティストとリスナーがじかにつながっているから、リスナーは作品よりもアーティストの発する言葉の方に敏感になっているような気がします。もちろん、いい面もあるのだけれど、僕はこの点に、音楽が語られない根本的な原因が潜んでいるのではないかな、と思っています。
■川元さんもFacebookをはじめとしたSNSを使われていますが、ご自身はこのようなソーシャルメディアを今後どのような空間にして行きたいですか。
そうですね、ネットで人がつながるということを、僕は素晴らしいことだと思っています。今回もSNSが無ければ、Love of My Lifeを世界配信して海外のリスナーから反応をもらうこともできなかったはずです。でも、理想としては、アーティストはSNS上で感情を伝えてはいけないと思うんです。喜怒哀楽のような思いをね。たとえネット上の付き合いであっても、人は感情で動きます。アーティストに限らず、ある人が強い感情で動き出すと、周りもその1人の勢いに動かされ、同じ方向に向かって行く。ネット上を駆け抜ける感情の勢いは物凄いエネルギーを持っているから、結論に至るのが早いんです。「みんなこれを悲しいと言っているから、本当に悲しいことなんだ」と自分の中ですぐに結論を出してしまえる。立ち止まって自分に問いかける余地が残されていません。それに加えて、アーティストがSNS上で自分の思いや制作過程を全て語ってしまうことで、リスナーが自由に作品を受け止めて音楽を語る場を奪ってしまっている気がします。リスナー側も一度作品の制作過程を知ってしまうと、「制作過程はこうだから、この音楽はこう考えるべきだ」という固定的なイメージが頭から離れないんです。これは本当に理想ではあるけれども、僕はSNSを通して、アーティストとリスナーが、非日常としての作品・ストーリーを創ることのできる空間を実現して行きたいです。
■そのためにアーティストはどのような役割を果たすべきだと思いますか。
アーティストはSNSで自分の日常の情報を伝えるよりも、もっとリスナーに夢を与えられる。だから、その曲は誰が作った、誰が歌っているという情報だけで僕は十分だと思っています。僕は、音楽作品が発表された後にも、リスナー同士が作品にまつわる理想を語れる場を創って行きたいんです。音楽や芸術というのは絶対に手に入らない理想を追い求める場なのだけれど、理想を追いかけて行くからこそ、僕たちは成長していける。最近は願望というものがあまりにも感じられなくなっている。たくさんの選択肢が用意されて、商品のように僕たちの前に並べられているけれど、結局僕たちは自分で自由に想像したものを追いかけていないんです。あらゆるものが、分かりやすく説明され過ぎていて、自分で何かを学び取る機会が無くなっている気がする。本だって作品よりも作者を全面に宣伝して売られるし、CDも分かりやすい言葉で一括りに分類されてしまっている。だからこそ、僕は想像力を膨らましてくれる芸術を提供していかなければならないと思います。
■リスナーの想像を膨らます空間を作るには、作品を作者と重ね合わせてはいけないとバルトは言っていると思うのですが、川元さんはその点についてどう考えていますか。
確かに、彼は作品と作者を切り離すよう唱えていますが、結局そうすることはリスナーにとっても最善のことだと僕は思うんです。作品が好きだということは、その作品が自分のものになるということだから。リスナーが自分の人生の中で、作品を自分で自由に使って行けるんです。でも、リスナーが作品よりも作者に注目している時は、作者がリスナーを邪魔している可能性がある。例えば、晴れの日にはあの曲がぴったりだから、それを聴きたいと思う。でも、「ああ、あの音楽の作者は晴れの日が嫌いだって言ってた」と思い出した途端、聴くのを辞めてしまう。アーティストの思いが作品とリスナーを支配してしまうんです。だから、作品が自由に公開されて、その音楽が完全にリスナーのものになることが、芸術にとって究極の理想なのではないかと思うんです。
■でも、作者と作品を完全に切り離してしまったら、アーティストはどうなってしまうのでしょうか。
この点に関しては、僕はバルトと少し違った立場に立っています。つまりバルトのように完全に作者と作品を切り離してしまおうという立場ではなくて、まず実現させるのが「作者の死」であって、その次にアーティストが姿を現すべきだと僕は考えています。つまり、第一ステップでは作品は作者から切り離されて吟味され、その次にアーティストが知られて行くという流れが必要なんです。僕がバルトから教わったことは、アーティストは最初、作品を第一に考える必要があるということです。まずは作品から入り、次にアーティストについて知る。一度この流れを作れば、音楽はリスナーのものになるし、それでいてアーティストともつながることができます。でも、僕はまだそういう世界を実際に構築したことがないんですよ。だから、今回のLove of My Lifeで海外のリスナーから作品だけを聴いて評価してもらった経験を踏まえて、これからそのような世界を構築できたら素晴らしいと思っています。
■「作者の死」を実現するためには、アーティストの思いが作品に介入しないように、自分をどこまで隠すかが鍵になりそうですね。
アーティストは自分の思いが溢れんばかりに湧き上がって来る生き物です。だから、フタを閉めていても湧き上がってきてしまう。基本的には死なないんですよ。そこで、僕は個性に対してオーバーなくらいフタをする方がちょうどいいのかなと思います。それくらい、作り手にはエネルギーがある。作者をある程度死なせるためには、作品と一緒に添えるものが必要だと思う。僕の場合はブラックコンテンポラリーだから、音楽に何か添えるということが実現しやすいジャンルです。つまり、スムースジャズとお酒というように、何かをマリア―ジュさせることで、作品から浮かび上がる作者の濃い影を薄めてくれる。作者が作品よりも前に出てしまいそうなら、作品と何かを組み合わせてフタをすればいいんです。これは逃げかもしれないけれど、僕は大事なことだと思いますね。
■川元さんのお話を聴いていると、とりわけブラックコンテンポラリーの分野では「作者の死」が起りやすいような気がします。
そうですね。ある意味で、ブラックコンテンポラリーは「作者の死」を目指さなければならない音楽なのかもしれない。でもこれは全ての音楽ジャンルに当てはめられるわけでは無いんです。例えば、ロックをやっている人であれば、自分の思いを表現することが大事なわけだから。
■最後に、川元さんが創り出して行きたい音楽についてお聞かせください。
僕は、長く愛される音楽には、解けない問いが含まれていると思うんです。最近はあらゆるものが簡単に説明されてしまっているんですよね。でも、解けないものを解こうとする意志が成長につながっていったり、日常生活を前進させたりするものです。そのような問いを提供できるような音楽を僕は創って行きたいと思いますね。そのためにも、音楽を創る時にはどこかで歌い手の僕を死なせておくことで、リスナーがこの音楽はこういうことが言いたいのではないかと自由に想像を膨らませる空間を用意したい。とてもシンプルなことですが、結局は作品がその人のものとなって人生の1ページになることが僕の一番の喜びです。
インタビュー・テクスト 瀬尾愛里紗 撮影:中村真奈
川元清史(かわもと きよし)
1981年兵庫県生まれ。歌手。Office Kiyoshi Kawamoto代表。1998年、YAMAHA Teen’s Karaoke Audition神戸地区グランプリ受賞。最新作は“Love of My Life” 東京港区を中心に自身のショウを定期的に展開中。